第一話
(私と民話、伝説)
(とんと昔があったてがの..。)
(気立てのいい働きもんのあんにゃがいたと..。)
このように始まる昔話。
子供の頃、夜になると父親の語りに胸をとどろかせて、聞き入っていました。
聞き終った後の余いんは、ほのぼのとして格別でした。
こんな気持ちを、子供達に少しでも味わってもらえたらと思い
(民話)(伝説)の紙芝居作りを始めています。
野積の(八百比丘尼)や、町軽井の(平野新の大蛇)など、寺泊に伝わる
民話、伝説は多く感動させられるものばかりです。
何かしら忙しいこの頃、心和む素朴な語りに大人も子供も一緒に楽しむことが
できたらと願っています。
更に登場人物の温かいぬくもりや土地のにおいに触れてもらいたいと
思っています。
このようなことを考え、どんな絵にしたらよいか(紙芝居)の制作に模索奮闘中です。
第二話
(民話、伝説の宝庫、寺泊)
寺泊は民話、伝説の宝庫である。
それは、寺泊が美しい自然と豊かな歴史とすぐれた文化遺産を持つ
詩情あふれる町であるからです。
私の(寺泊の民話、伝説 紙芝居)次の資料で紹介します。
○ 寺泊史資料4(民俗、文化財の第3章、言語伝承)の昔話と伝説をもとに
(平野新の大蛇)(ソバとムギ)(三枚のお札)など三十数話があります。
○ 民宿まつやさんの主人、高津勝さんが発刊した(野積風物語)で
(八百比丘尼の松)(口開け石)など十一話があります。
○ 大河津の歴史研究サークルの温古会、発行の「大河津村傳説集」で
(熊坂長範と物見の松)(きつねと鱈)(屁ふり坂)など五十数話があります。
大河津村傳説集は
メディア研究会
てらどまり今昔で詳しく紹介されています。
○ 田頭の今昔を残す有志や年輩の方々から聞いた話を紙芝居に描きためています。
第三話
(伝説、昔話を足で取材)
5、6年前からである。私の民話伝説の紙芝居を喜んで聞いていた年輩の方から
小さい頃、自分も聞いたと言う昔話を語ってもらう機会が多くなった。
そうした年輩の方々から、じっと聞き、そして家に帰ってからすぐにノートに書き
とめるようにしている。
また、思い出したのでと電話で聞かせてもらう事も何回かあります。
今後一層この取材をしていきたいと意欲を燃やしている昨今です。
第四話
(いきがぽーんとさかえた じょんのびーじょんのび)
私は、寺泊の民話、伝説の紙芝居の終わりには、聞いててもらった人の顔を
見ながら、ゆったりした口調で「いきが ポーンとさかえた じょんのびーじょんのびー」
と語ることにしています。
心が和み穏やかな気持ちで過ごしましょうと、私と聞いた人との心をつなぐ掛け合いの
言葉として使っているのです。
聞き終わった後の余韻をひきたてるすばらしい しめことば だと思います。
第五話 (
寺泊の民話、伝説の特色
)
お弥彦様、お寺様とあがめ大事に語られているものが多いのです。
田畑の作り方、海での漁の仕方を、お弥彦様が教えて下さり、弥彦山は今も
見守っているのです。
海沿いには、お寺が沢山あり、ご先祖様が自分等を守って下さっていると多くの
民話の中に語られています。
話の中には「善意、感謝」をわかりたすく悟り、聞いた後は心が和み素直に受け入れ
ることができるのも「民話」の大きな力ではないかと思います。
田園地域では日々の生活に結びついている民話、伝説が多く「河童ときゅうり」では
今も六月頃にとれた初物のキュウリを畑仕事の帰りに近所の川に「豊作と村人の
安全」を願い流している。
沼の主である大蛇は、村人が蛇に噛まれた時によく効くと言う薬の作り方を教えた。
祭り事ではなく、今も生活の中に直結しているのに驚き一層親しみを感じます。
第六話 ( お話
悲しい牛
)
佐渡牛の陸上げ場の松沢町 (写真は竹森、長谷川さん提供)寺泊町史 資料編4より
佐渡牛の移入は江戸時代末期ごろからすでにあったようで「赤泊、寺泊が越佐の牛航路」と言われていた。
牛の陸揚げは朝日のあがらないうち薄暗い波打ち際で松明を焚き陸近くで船から牛を海に突き落とす。
牛はこの火を目掛けて泳ぎ陸に上がってくる。浜では牛買いがその泳ぎ方を見て値段を付けていたそうです。
第七話 ( お話
口開け石
)
野積に弥彦様の奥方を祀った妻戸神社があります。
弥彦様に口止めされていた樵が奥方に道を教えようと「あっち..」と言ったとたん石になってしまった。
この「口開け石」という大きな岩の口の部分に祠が建っています。
今も漁の神として大切に祀られています。
第八話 てらどまり民話伝説 (長岡の図書館でご覧になれます)
第九話